どのようにして著書『超える技術』を書き上げたのか-「あとがき」

本書は『限界を超える』というテーマを設定し、私自身がどのようにして限界を超えて成長をしてきたのか、というエピソードを土台に、今まで培ってきた知識や経験を紹介する形式で書き進めていった。
そして書き上がった原稿を読み返していくうちに、自分のことであるのに、
「色んな経験をしてきた不思議な人生だな」
と遠目に思慮する自分に気付き、ハッと我に返ってはまた原稿を読み直す、ということを繰り返していた。

私は一般の人とは違った生活スタイルを送っていることもあってか、様々な面で物珍しがられることが多く、色々と質問を受けてきた。
ほとんどの人は単なる好奇心で質問をしてくるのであるが、中には真剣に悩んでいて熱心に聞いてくる人もいる。
私はついどうすればいいかだけを話すのではなく、なぜそのようなことをしているのかという背景や理由まで説明しようとしてしまうせいで、長々と話を続けてしまうことが多かった。
会話というのはお互いがベストだと思うタイミングで切り上げることがほぼなく、常にどちらかがベストなタイミングで切り上げていないと感じる形で終わることになる。
会話で何かを伝えきるというのは、かなり非効率なのである。
そこで私は、書籍にして「知りたい時に読めばいい」と、読者に対して、答えを得るタイミングを委ねるスタイルをとろうと考えた。
理由や背景まで話さなければ、文脈がかけることになり、誤解を生む恐れがあり、表面的な理解で部分的にだけ適用するようなことをした場合には、全く逆の結果を生むようなことになりかねないからだ。

私が今のスタイルになるまでには試行錯誤を繰り返し、紆余曲折を経てきている。
その都度その都度最適な判断をしたつもりであっても、後から最新の情報を得て思いっきりそれらを覆すことも躊躇わずに行ってきた。
だからといって相談してきた人が同じように試行錯誤して紆余曲折をすればいいとは思っていない。
それはあまりにも無責任だと思う。
少なくとも今の自分のスタイルに至った経緯や理由については、全てを書き切ることはできなくとも、少しでも誤解を減らせるように説明したいとは思っている。
しかしやはりそれらは会話だけで行おうとすると、話は長くなり、相手の集中力ももたなくなってくる。
すると記憶の中では印象に残った箇所だけがハイライトされ、それらをつなぎ合わせると文脈が全く変わってしまう、なんてことも起こってしまう。
私は以前から「これは本にしたほうがいいな」とよく思っていた。
前著「成功するアジャイル開発」という本を書いたときに、いっそこのまま書いてしまおうと、続けて書くことにした。
そしてついに本にできたのである。

今回、若者に向けた書籍というテーマを設定したが、ではそのテーマの中で何を書こうかと考えたときに、自分の過去の経験をベースに書くことになるんだろなと想像はしていた。
そこで自分自身にいったいどのようなネタがあるのだろうかと知識の棚卸しをしてみた。
思いの外ネタのジャンルが多岐にわたっており、1冊の中にそれらをまとめて詰め込むというのはなかなか難しいかもしれないと少し躊躇したが、思い切って詰め込んでみようと10ジャンルを列挙して紹介してみた。
正直、どの章も私が書き尽くしたかったレベルにまで至っていない。
なので今後はそれぞれの章について1冊の本にしていき、最低でも10冊の本として出したいと考えている。
全て書き終わるのにいったいどれくらいの時間がかかるか分からないが、そんなに長くはかからないと楽観的に考えている。
喉元過ぎれば熱さ忘れる、で前著もこの本も書くのは相当苦しかったにもかかわらず、だ。

私は16歳でアメリカに行き、野球のできる場所を求めて各地を転々とした。
マイナーリーグ、独立リーグ、大学生が夏休みに参加するサマーリーグ、教育リーグ、様々な場所でプレーをした。
国際大会にサモア代表として出場したこともある。
日本と韓国が辞退をしたことで、その他の国のチームに、最大2人まで、未出場の国籍の選手を助っ人として受け入れが可能という特例ルールができたおかげで、サモア代表の監督が声をかけてくれた。
大会前のセレモニーで、サモアの伝統ダンスまで踊らされ、何人かは火のついた松明を回しながら踊るファイヤーダンスを踊って、会場を盛り上げていた。
振り返ると、あの日々の思い出はほとんどが野球と関係ないことで、生きていくために必死だった中で学んだ多くのことが、今の人生の基礎になっているような気がする。

アメリカにいた時はお金が稼げる時もあったし、全く稼げない時もあったし、そもそもほとんどがそれどころじゃなかった。
寝る場所すらない、目的地さえ分からない、必要な人の連絡先が分からない、というような日々だった。
ガソリンスタンドで強盗に巻き込まれたこともあるし、銃を向けられたこともある。
間違えてヤク中の人たちがうろつく町に迷い込んでしまったこともある。
アパートに空き巣に入られ、ルームメイトの貴重品がごっそり盗まれてしまった時は、私のものだけが盗まれていなかったことで疑いをかけられ、警察に連れて行かれたこともある。
アメリカの警察官は強い。
メキシコの警察官はもっと怖い。

アメリカの空港で入国審査の際には当時はほぼ100パーセント別室に連れていかれていた。
トランクを開けられ、荷物を片っ端から調べられ、散々散らかされた挙句、自分でそれらを片付けさせられる。
ムカつきながらも、乗り継ぎの次のフライトまで時間があまりないので、ここで時間を無駄にしてもしょうがないとやむなく荷物を詰め込むことに集中した。
その間、入国審査官は雑談して談笑している。
その時は本当にクソな国だなと思った。
アジア人はこういった仕打ちを、どこへ行っても受けがちだった。
レストランでも侮蔑されているような態度を取られたこともあるし、そういうことがたくさん積み重なると、徐々にアメリカのことは好きではなくなっていき、どちらかと言うと嫌いな国だった。
しかし今思い返すと、日本に帰ってきてから日本の良いところも悪いところも気が付くようになったのは、そうしたアメリカでの経験があったからだ。
日本以外の国との対比によって、日本を再認識できるようになっていた。

そして野球辞めてからの方がアメリカは好きかもしれない。
あの頃は生きるのに精一杯で全く余裕もなかったが、20代の後半ぐらいになって、仕事でアメリカに行くようになって少し余裕を持ってアメリカの風を感じれた。
だから今はアメリカという国は好きだ。
中国も好きだし、インドも好きだ。シンガポールも好きだし、台湾も好きだ。韓国も好きだ。イタリアも好きだし、フランスも好きだ。
今はどこに行っても余裕を持って楽しめている。

心の余裕はとても重要だと思う。
若い頃にその余裕はなかった。
あの緊張感で張り詰めた日々があったからこそ、今は余裕を持って世界を受け止められる。
それぞれの国や地域には、その場所特有の文化があったり、価値観があったり、商習慣があったりして、それらの微妙な違いにもいち早く対応できるようになったのは、あの若かりし日の経験のおかげだと思っている。
だからこそ若い人たちには積極的に挑戦して欲しいと思っている。
これは何も、日本の未来を見据えてとか、彼らはの人生を思ってとか、そういう崇高なイデオロギーとかに突き動かされているわけではない。
そして私がこのような本を書いたとしても、それによって影響を受ける人は日本全体の人口から考えれば微々たるもので、誤差と呼べるような影響力しかないかもしれない。
今まではそう考えることで本を書くのをやめていた。
書いたところでこの世界を特に変わらないだろうと諦めていた。
影響力を行使するのであれば他にもっとやることがあるだろうと思っていたし、本を書くなら SF 小説とかの方が書いてて楽しいだろうなと思っていた。
だから今回のこの本はこの本を読むであろう若者のために書いたわけではなく、自分自身のためだ。

自分自身が一体どのような人生を歩んできたのかについて、知識や経験を誰かに教えるというスタイルで振り返ってみたかった。
私は幼い頃から本ばかり読んでいる少年だった。
親父は本ならいくらでも買ってくれた。
親父と本屋に行くと小説やら伝記やら科学本など、知識が身に付くような本はいくらでも買ってくれた。
それは今思い返してもすごいなと思う。
良い教育の仕方だと思う。
だから子供の頃から本が大量にあった。
私にとって本というのはとても身近なもので、どこへでも本は持っていってどんな場所でも読んでいた。
ちなみにL.A.の日本人向けスーパーの中に紀伊国屋書店があり、良く行っていた。
球団をクビになって、L.A.で一人で滞在しなくてはいけなかった時期があり、今思い出すと、人生の中で最も辛い時期と言えるかもしれない。
これは本当にその時期に辛い思いをしたというよりは、まだ若かったので、そうした人生の厳しさに慣れてなかったこともあるだろう。
思い出したくもないぐらいネガティブな感情が沸き起こってくる思い出である。
本屋に行っては立ち読みをし、時間をつぶしていた。
年齢が若いと、レンタカーの料金が高くなるので、当時は車なしで生活していた。
L.A.で車なしで生活するというのは、なかなか過酷である。
同時滞在していたモーテルから紀伊国屋のあるスーパーまで、片道2時間かけてキックボードを使って行き来していた。
2時間キックボード乗りっぱなしは、足の裏も腰も痛くなる。
ついにいっそ本を買えばいいと思い、読み応えのありそうな本を探して買って読んだ。
買った本は森さんの「すべてが F になる」というSF小説だ。
当時から既に小説はもう読んでいなかったが、毎日片道2時間もかけて紀伊国屋に行くのはさすがにもう怠くなったので、ホテルの部屋の中で時間つぶしができる程度の読み応えがあるものを買おうと思って、手にした。
本の内容と当時自分が置かれていた状況は別に特にリンクするわけでもないのだが、読み進めながら前向きになっていったのを覚えている。
前向きになった理由は小説の中の物語から何かを得たというよりは、このような作品を思いついて書き上げる人がいるんだなと、感動したからだと思う。

私は、本を書く作家だけでなく、曲を作るミュージシャン、建物を設計する建築士、ソフトウェアを作り上げる開発者、と、何かを作り上げる人に常に尊敬の念を抱いている。
何かを消費する人ではなく、作り上げて世に送り出す人である。
私の人生はそれ以降は一貫して「何かを作り上げる」ことをテーマにして走ってきた。
世の中にとって何か価値のあるものを作って送り出したい、そんなことを無意識のうちに思いながらここまでやってきた。
どれくらいの価値があるのかは、結局最後は自分が決めることになるが、自分にしかできないこと、自分だから出せる価値、を常に意識している。

一生涯で一体どれだけの人と出会うかはわからない。
そしてまた、私の書いた著作をどれぐらいの人が読むのかもわからない。
しかし私が生きた証を、もがき苦しんだ経験を、見てきた景色を、何かの形で残していきたいとわがままにも思うようになっている。
私が作ったものを多くの人が楽しんでくれるなら、それほど幸せなことはないだろう。
これからは出し惜しみせず、自分の持っているすべてを作り上げる作品にこめて世に送り出せれば本望である。

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