わざと勝たせて『勝てるんだ』と実感させる経験をさせなさい

「本ならいくらでも買ってやる」

教育について自らのことを振り返ったとき、そういえば今まで一度も親から「勉強しろ」と言われたことがない、と気が付いた。公立中学・高校だったので、教科の先生には言われたことがあったのかもしれないけれども、それもあまり記憶にはない。

ただ親父からは小さい頃から「玩具は買わん、本ならいくらでも買ってやる」と言われ、興味ある本は片っ端から買ってもらった。本屋に行くのが楽しかった。バッティングセンターと本屋巡りが親父との一番多い思い出かもしれない。

小学生では珍しく多読するクセがついて、小説や伝記、図鑑、科学書なんかを読みまくっていたせいか、新学期が始まる際の教科書を最初に配られたときに教科書を一気に読んで、教科書一冊分の予習を30分で終わらせていたのだが、中学に上がるとその教科書を読むのもつまらなく感じるようになり授業時間が退屈でしょうがなかった。先日、久しぶりに中学のときの担任の先生*1)に会って話す機会があった(新年会なのでお酒の席だったのだ)が、先生は当時の記憶がもう曖昧になってしまっていたのかもしれないけれど、私は意外にもその先生からどんな風に教わっていたのかを覚えていた。でも「これじゃあんまり意味ないな」とか「この教え方は良いな」とか生意気なことを考えていたことも思い出したので、それもこの機会に伝えておいた*2)

学習という点で考えると、どうしても学校での授業は受け身の学習になりがちであり、効果は薄い。学校の勉強は役に立たない、などと揶揄されて久しいが、なにもそれは日本に限ったことではない。日本の学校教育のカリキュラムが問題であるかのように非難されることも多いが、そもそも学校という場では学習は受け身になってしまうのである。その『受け身の学習』という姿が問題なのである。

その点、興味の赴くままに書籍を自分自身で好きなように選んで学習していく姿の方が、本来の勉強なのではないかと思う。今回はその辺について深く掘ってみたい。

生徒達の”成長する機会”を奪っていないか

私は小学生当時、小学校の図書室にあった江戸川乱歩の小説は全部読んだが、それら推理小説や歴史書などを含め興味がありそうなもの一帯を一夏で全部読んでしまった4年生以降、もはや図書室にすら行かなくなってしまった。学校の図書館という場は新しく本が追加されることもほとんどなく、一旦読み尽くしたらそれで終わり、というのも関係しているかもしれない。そして驚いたのは、高校の図書室の本の少なさである。街の小さな本屋よりも少なかった*3)

教師を経験したことで気付いたことは、多くの教師がしていることは『”教えること”だと勝手に思いながら、ただ生徒達の”成長する機会を奪っている”だけに過ぎない』ということだ。それは当時教師をしていた自分自身もそうだったし周りの教師の多くもそうだった。教師を辞めて外から考えるようになってようやく気が付いた。

ある方の意見を聞いてハッとしたことがある。

「親は子供と勝負する際に、子供の水準での戦いをしてあげよ。そして常にギリギリで負けてあげよ。子供に勝つ機会を与え、決して勝つ方法のみを与えようとしないこと。子供はギリギリの勝負の中で勝ち方を掴み取る姿勢を自ら形成するのだ。子供自ら勝つ方法を考案する機会を与えるのだ。」

プライドの高い教師が生徒にとって有害である理由

これを教師に置き換えるならば、教師は答えを示すべきではなく、生徒自らが答えを出そうとする機会を提供するべきなのだ。そして時に生徒との勝負に敢えて負けてあげるべきなのだ。万能で有能で高いプライドをもっている教師ほど、生徒にとって最も有害な教師になってしまうことがある、ということだ。

「万能で有能な教師であるべきだ」と思っていた当時の自分を猛省する。

「どうだ、俺は何でも知ってるぞ」という教師としては最も有害な態度を取っていた若き日の俺を許してほしい、と当時の生徒に謝りたい。

自身は誰からも「勉強しろ」とも「これが正解だ、どうだ」とも言われたことがない、恵まれた環境で成長してきたのにも関わらず、自らは真逆の態度で教育を捉えて、そして誤ったまま実践してしまっていたのだ。

『自分は教師に向いていない』と強く感じていた理由が当時ははっきりと分からなかったが、今はよく分かる。

注釈   [ + ]

1. 今はもう校長先生になってとってもお偉い方になっていたんだけれども、全くそんな風に考えて接したりはしなかったのは不思議である。
2. 「いや、そんときに言えよ」と苦笑されたけれども、そんな笑って許してくれる心の広い先生だからこそ校長にまで上り詰めたんだろうと思う。「上り詰めたその先は落ちていくだけですな、夢もありませんな」と冗談を言ってみたときは、マジで凹まれていたのはちょっと言い過ぎたかなと思ったが
3. 私は修学旅行に参加していないが、皆が修学旅行に行っている間、学校に登校させられ、図書室で自習をさせられたが、冬の極寒の中、もはやただの軟禁部屋と化していた。修学旅行に行かなかった理由が直前のバスケットボールのプレー中に怪我をしての『左薬指の骨折』だったのだが、冬に長野にスキーに行くという修学旅行のコンセプトが嫌で仕方なかった。「寒い時になんで寒い所に行かなくてはならないのか、沖縄など暖かいところに行くのならまだしも」と思っていた。が、スキーに行かなかったがために、他に行かなかった1名と計2名で、スキー以上に寒い図書室で自習をさせられた方がはるかに辛い状況を招いてしまった。学生服はただただ寒い。

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