ポジティブ中毒の君へ

追い求めるほど減っていく『幸せ』

私には決まった散歩コースがある。というかオフィスと家とジムが徒歩圏内にあり、電車にもバスにも乗る必要がないため、毎日移動のために歩いており、それを勝手に散歩と呼んでいるだけである。そしてオフィスとジムの間に書店が2件ある。ひとつはアート系・人文系を中心にした書店。もうひとつは売れ筋のビジネス書を並べた書店。いささか仕方がないかもしれないが、売れ筋として置かれているものが、Amazonのレビューが高いオススメ本ばかりで、Amazonのオススメから単純にピックアップしているだけのコーナーと化した書店になってしまっているのが、やや残念ではある。散歩のついでと割り切って書店に寄るのだが、入り口付近の『店員さんイチオシ!』の力の込もったコーナーを素通りし、奥の乱雑とした人気の少ない『何のジャンルとして分類していいのかよく分からない本たち』の佇むコーナーに向かう。そしてそのコーナーの本の顔ぶれはあまり変化がない。だから結局は入り口付近の売れ筋コーナーに戻ってきてしまう。売れ筋コーナーを見るたびに発見してしまう図々しく陣取った”ポジティブの押し売り”本。「願えば叶う!」「幸せを引き寄せろ!」と満面の笑顔で(時には仰々しい装丁で)「いつも前向きに」と目標至上主義の成功神話でまくし立ててくる。

誰もが幸福になりたい、と願うだろうが、そもそも幸福とはなんだろうか?実は幸福には落とし穴がある。その落とし穴とは、幸福は目指せば目指すほど手にする機会が少なくなる、というものだ。「いま私は幸せか?」と自問してみるといい。その途端に、幸せな気分など消えてしまうだろう*1)。幸せというものはチラ見するくらいがちょうど良いもので、ジロジロ凝視するようなものではないのである*2)。だからか、人は幸せについて考えるとき、現在の幸せではなく、過去の幸せを何度も思い出そうとする。過去の幸せなら都合よく眺めることができるからである。それも遠い過去ほど長い時間眺めていられる。それはもうもはや今現在の幸せなどではなく、都合よく記憶された、記憶の上で作り変えられた幸せなのである。

現代社会で幸福追求の手本とされている自己啓発本は、実際に我々を幸せにすることなど滅多にない。国民別の幸福度調査で、もっとも幸せな国民だと感じているのは自己啓発本がもっとも売れている国でもなければ、心理療法士が活躍する国でもない。自己啓発本は、『幸福産業』が生み出したビジネスの商品であって、幸福を手に入れたいという欲求を食い物にして、逆に事態を悪化させてしまったとしてもお構いなしである。

私たちは絶えず、不安、心配、失敗、悲しみ、などのネガティブな感情を排除しようとしてしまう。そして、ときに行き過ぎたネガティブ感情の排除に躍起になって空回りしてしまう。懸命に幸福を追求しようと努力しているつもりが、裏目に出て、自らを惨めにする結果を招いてしまう。では、本当の幸せとはなんだろうか?もう少し視点を広げてみてはどうだろうか?

できるだけ多くのネガティブな心情を経験したらどうだろうか?ネガティブな感情から逃げずに受け入れてみたらどうだろうか?

ポジティブに考えなければならないと決めた途端にネガティブな感情に注意を奪われる

「今から1時間、ピンクの象のことを考えないようにしてください」というゲームを持ちかけられ引き受けたなら、あなたに勝ち目はない。それがたとえ10分だとしても、10秒だとしても、考えないようにすることは困難である。

これには人間特有のメタ認知というものが関わっている。メタ認知とは、思考そのものを思考すること、思考の思考ともいえる。思考がそれ自身を思考の対象にすることでメタ認知は可能になる。「私は何を考えているのだろうか?」と考えることである。このメタ認知というものは、非常に役に立つ能力であり、落ち込んだり不安にかられても、理性を失ったりせずに不安定な思考を客観的にとらえることで適切な対策を講じるように促すことができる。しかし、メタ認知を利用して通常の思考を直接コントロールしようとすると問題が生じる。

必死になってピンクの象以外のことを考え続ければある程度までは先ほどのゲームに成功するかもしれない。しかしスタートと同時にあなたの心の中のメタ認知用のモニター装置にもスイッチが入る。このモニター装置は、あなたが本当にピンクの象のことを考えていないかをチェックするためのものである。このモニター装置は見えにくくさりげないものなので、通常、意識に上がってくることはない。しかし心身共に疲れていたり、強いストレスを抱えているなどの、精神的負荷がかかってしまうと、メタ認知は正常に機能しなくなる。さりげなかったモニター装置が強く稼働し始め、突然あなたの頭の中はピンクの象でいっぱいになる。

不幸話を聞かされる前に、「悲しまないように」と念押しされた人は、何も指示されなかった人よりも、深い悲しみを覚える。性欲は禁止されるほど強くなる。裸が隠されている文化の人の方が異性の裸に性的興奮を覚えやすい。

ポジティブに考えようと決意した人は、ネガティブな思考が入ってこないように常に心をモニターしておかなくてはならない。こうして注意の矛先がポジティブなことからネガティブなことへと移ってしまう。結局はうまくいかないのである。しかしではなぜこれほどまでにポジティブに考えることは支持されるのだろうか?それは気持ち良いからである。つまり「順調な心理状態では、物事がうまく運ぶ確率の方が、実際の確率よりも大きく感じられる」ということである*3)。つまりは錯覚なのである。なんとも気持ちの良い錯覚であり、そして中毒に陥ってしまう。

ネガティブな感情に慣れよ

ストア哲学者たちは、人間の幸福への道は自らのネガティブな性質によって決まる、と主張していた。自らの理性的な判断に逆らってでも「不愉快な体験」をすれば、結局は予期しなかった目に見えない恩恵を得られることができる、というものである。

拒絶、衝突、失望。これらを避けてはいないだろうか?

弊社ではインターンシップ生に必ず最初に『グラウンド営業』を行わせる。グラウンドに出向いて、野球をしている草野球チームに対して弊社リーグのサービスを説明し加盟の勧誘をするのである。一般に言う飛び込み営業である。最初はまず間違いなく拒絶されるが、野球が好きでグラウンドにいる野球チームの選手たちなので、それほど強くは拒絶され続けはしない。徐々に話くらいは聞いてくれるようになる。それでもインターン生たちは最初はその拒絶にショックを受ける。しかしすぐに慣れる。ときには強い拒絶を示す人もいるが、それでも慣れてくると「拒絶はされるものだ」と開き直れるようになる。決して「拒絶なんかされない」とは思わない。ネガティブな感情を否定するのではなく、思ったほど悪くはならない、と受け入れるのである。ネガティブな感情に慣れるとその感情を受け入れられるようになり、そこからまた多くのことを学ぶことができ行動を妨げるものが減り、行動を増やすことができる。行動が増えれば、また学ぶ機会が増えるのである。経験が学びの機会を豊かにしてくれるのである。ポジティブに考えて何も行動しないよりも、ネガティブな感情に慣れて行動を増やした方がいいのである。ポジティブ思考を実践しても、「全てはうまくいく」などと現実と乖離した思い込みで目前のチームに声をかけられず立ちすくむのがせいぜいである。だったら「うまくいかないかも」と拒絶される可能性を認めてとりあえず行動に出た方がいい。

全ての成果はまず『行動』から

自己啓発本を読んで良い気分になるのは悪くない。しかし自己啓発本に夢中になっている人の多くは何も行動をしない。ネガティブな感情から逃げているからである。逆説的かもしれないが、何も行動できないからせめて自己啓発本を読むことで満足するのである。それはもはやポジティブ中毒に陥っている。そしてポジティブ中毒者を量産することで『幸福産業』は大儲けしているのである。ポジティブ思考だろうがネガティブ思考だろうが、まずは行動である。そもそもまだなにも行動する前から、ネガティブな感情から逃げては何も行動できない。まずはネガティブな感情に慣れることであり、そして慣れてくればより多くの行動を起こせるようになる。

ネガティブな感情を受け入れて、そして慣れてしまえば、きっと悟れるようになる。「物事はうまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれない。とりあえず行動し最善を尽くそう」

注釈

1 哲学者、ジョン・スチュアートミルが同じことを言った
2 ジェニーハイという名の異色のバンドの『片目で異常に恋している』という曲の歌詞で「片目で見るくらいがちょうど良い、両目で見てみたらそんなに魅力的に見えないし」と皮肉ったところが妙に刺さった
3 タリ・シャロット著「脳は楽観的に考える」

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