教育の真の効果は遅れて分かる

これ俺は専門学校の教師だった時の話だ。

当時俺は23歳。アメリカから帰ってきてすぐだった。

4月から始まる新学期に向けて、入学者数が増えたということで急遽クラスを一つ増やしたことにより教師が足りなくなったということで募集がかかっていた。

貪欲に生徒募集をかけまくったら定員を大幅に超えてしまったということである。

「あ、なんだかおもしろい仕事があるよ?できるんじゃない?」

「え何それ、俺の卒業した高校から近いかも」

それを見つけたのは2月。

すぐに面接を受けた。合格。

「じゃあ4月からよろしく。授業準備とかあると思うから先に来て準備しててもいいよ」

「わかりました、でも雇用は4月からなんですよね」

「そうだよ。だから先に来ても給料でないよ」

「分かりましたじゃあ4月から行きます」

「…ああ、まあそれでもいいよ…」

後から知ったが、同じ学年を受け持つことになった他の先生達は4月よりも先に来て授業準備をしていたらしい。うん、契約以上のことはやらないという何ともアメリカナイズされたやつだと思われたかもしれない。まあ当時はそんな事は全く気にしていなかった。ついこないだまで、筋肉ムキムキの身長190センチレベルの連中と一緒に野球やっていた俺。怖いものなどなかった。今は怖いものがいっぱいだ。 

面接の終了時に分厚いテキストを三つ渡された。

「これを4月から使うから一通り目を通しておいて」

「結構分厚いですね」

「まあでも君は高校の時に『第一種』を取っているから、復習みたいなもんでしょ?」

「いえ、6年以上前なので、さっぱり忘れています」

「…んん、まあ頑張って…」

俺は高校の時に情報処理の国家試験である、情報処理技術者試験「第二種」「初級シスアド」「第一種」と連続で受験し合格していた。

そしてその高校生の時に「第一種」に合格したことが新聞に載ったので、それを当時の専門学校の先生たちが見て「高校生で一種をとられたんじゃは俺たちの商売あがったりだなあ」と、言っていた、ということを記憶していたと言われた。

面接を受けた当時23歳なので第一種を受験したのは確か17歳だったはずなので、当時から見て6年か7年ほど前の話だったはず。その後お世話になる専門学校は卒業までに国家試験である「第二種」か「初級シスアド」を取らせること目標にしていたので、当時新聞を見た時は先生の間で軽く盛り上がったらしい。

新聞を見た当時は「この高校生はどうせコンピューターオタクのガリ勉だろう」とか言ってたらしいが、面接でそれが俺のことだと分かった時、とても驚いたと言っていた。当時は少し髪が長く金髪だったんだが、黒染めのスプレーをしてオールバックにしてごまかしていた。そして日に焼けて真っ黒だった。そしてその直前までアリゾナのキャンプ地にいたので体は隆々に仕上がっていた。

今だから正直に言うが、俺は特に教師に憧れていたわけでも何でもない。

ただ父親が教師だったこともあり、父親がしている仕事を理解するということで何か父親の気持ちが分かるかなと思った程度だった。そして受け持つ授業の内容も、卒業までに「第二種」の名称が変更された「基本情報処理技術者試験」を取れるようにするところまでの面倒を見るということだったので(そして合格率も受け持つ学科の生徒のの20%ぐらいが目標ということだった)、まあ内容的にもそんなに難しくないだろうと甘く考えていた。

ちなみにあまり詳しくない人のために説明をしておくと、情報処理の国家試験は当時は「初級シスアド」が一番下でその次に「第二種」、そして「第一種」と、難易度が上がっていった。今は名前が変わっており、 初級シスアドが「ITパスポート試験」、第二種が「基本情報処理技術者試験」、第一種が「応用情報技術者試験」、とそれぞれ名称が変わっている。これは何年かに一度、適用範囲を見直す際に変更を加えられているので、「応用情報技術者試験」は、途中で「ソフトウェア開発技術者試験」という名前になっていた時代もある。

なので俺の年齢で多分ギリギリ「第一種」というのが受験できたはずだ。たぶん「第一種」を受験できた最後の年齢ぐらいだ。俺が教師を受け持った23歳時点で、すでに第一種は「ソフトウェア開発技術者試験」と名称が変わっていた。

この教師になる前の6年間ほどは野球をしていたせいもあり、その間に名称変更が行われたり、対象とする知識の範囲が変わったりと諸々の変更があったみたいだ。俺が受験した時は、プログラミング言語は COBOL で受験した。しかしこれが教師となって教えるのは Java で、試験も Java で受験させるということだった。俺が教師として入るその年から、 Java で受験させるという決定をしたと言うのだ。

これは何を意味するかと言うと、この専門学校には国家試験を受けるための Java のカリキュラムというものが今まで存在しなかったということだ。なので一からそのカリキュラムを作らないといけない、ということだった。それを俺一人で作らなければならないということではないが、受け持つ先生たちで試行錯誤しながら作り上げていかなければならなかった。

これはまだ当時、情報処理技術者試験の午後のプログラミングの問題に、選択することができるプログラミング言語に Java が追加されたばかりだったので、これはこの専門学校だけの問題ではなく、情報処理技術者試験を受験させようとする多くの学校が同じ問題に直面していたはずだ。

俺はこの時点まで、 Javaというプログラミング言語をちゃんと扱ったことがなく、オブジェクト指向というものに関しても一から勉強する事になった。当時の俺は23歳ということは今から16年前。2003年ぐらいの話だ。 Java のバージョンは1.3。今の Java の環境からみるとかなり貧弱でお粗末だったが、「オブジェクト指向万歳ー!」的なもてはやされ方をしていたので、「 Java ってすげえ言語なんだぜ」的な流れがあった。当然俺も最初その影響を受けて、「なんだかわからないけれど Java ってすごいんだなー」くらいに思っていたが、その後ソフトウェア会社に入って本格的に大規模システムを Java で開発し出すと オブジェクト指向の負の側面と折り合いをつけなければならないという点でも、いろいろな問題点に気づかされることになった。

プログラミングを初めて取り組もうとする人に対して、 Java はまあまあいい練習場になると思う。 しかし、これはあくまでも1プログラミング言語であり、ひとつのパラダイムでしかない、という前提をきちんと理解した上での話だ。

我々が生きている世界、まあ正確には我々が世界を認識している認識の仕方、これをアナロジーとして生かすことができる、というのがオブジェクト指向の最も大きなメリットかもしれない。なのでプログラミングを始めて行おうと思う人間にとってみると、比較的、直感的に理解しやすいパラダイムだと言える。

まぁとはいえ、専門学校に入ってくる学生はプログラマーを目指している(まあ正確には本当のプログラマーが何たるかを全く知らないのでほとんどがゲームを作る人ぐらいにしか思っていないのだが)のだが、 全くプログラミングをしたことがないと言う人がほとんどなので、どう理解させなければならないか、というカリキュラム作りには苦戦した。

「皆さんどのような職業に就きたいですか?」

「ゲームプログラマーです」

「僕もゲームプログラマーです」

「私もゲームプログラマーです」

「僕も…」

「…うちの卒業生でゲームプログラマーになった人はいません。諦めてください」

何が一番大変かと言うと、専門学校での受け持つコマ数の多さである。

大体一日4コマ、週16から20コマである。これは高校の教師をやっていた当時の親父にも話したが、なかなかヘビーな数字である。教師一年目の俺は、今まで作りためてきたネタみたいなものはないこともあり、1コマの授業の準備に2-3時間かかった。毎日4コマなので、授業準備だけで毎日7-9時間かかっていた。

なので授業が終わった後は毎晩ほぼ徹夜で翌日の授業準備をするということを行っていた。まさしく自転車操業である。ただ全体のカリキュラムやシラバスも考えながら、授業準備も進めなければならないと言うなかなかの極限状態であった。学校は22時で閉められるので、その後は24時間開いている定食屋で飯を食いながら夜中の2時まで授業準備をするということやっていた。 そして家に帰り4時間ほど寝て、朝7時に起きて学校に行くという生活をしていた。当時付き合っていた彼女にはかなり呆れられていた。

今思うと、この専門学校の教師時代が人生の中で一番勉強したときだったと思う。高校生で第一種を受けた時も、大して勉強はしていなかった。これは自分が理解できればいいというのは、自分にとっての効率のいい学習ができればいいわけであって、そんな難しくはなかった。しかし教師は違う。学生に理解をさせなければならないのだ。自分ならこのような表現で理解はできるとしても、学生はそうとは限らない。なのでいろんな想定をしなければならない。「ここをもし、こう質問されたらどうしよう」とか、「この箇所をわからないと言ってくる学生に対してもっと分かりやすい表現はないだろうか」とかである。他人に何かを教えるという行為は真に理解をしているのかどうかということを試される。

なので知識を教えるという行為は、教えてもらう側が得をするというより、教える側に得るものが大きい。

知識を教えてしまうという行為、これは実は教えてもらう側にとってみると 成長機会を奪われることにもなりかねない。

そのことを、俺はこの教師時代に経験することになる。

この点に関しては俺は教師時代に反省をした。 それはある別の目的があったため、ある意味仕方がなかったのであるが、それ以降の俺の中の教育というものに対するスタンスを形成する礎となっている。 

通常のクラスは3クラスあり、それぞれに担任が割り振られていた。これが受け持ったクラスは C クラス。このCというのには特に意味はない。成績で割り振られたわけではない。ただ教師の中では俺が一番若かった。そして俺には現場経験がなかった。ソフトウェアを開発する仕事を当時はまだ一度もしたことがなかった。ついこの間までアメリカで野球をしていた若者が帰国と同時に教師になったのだから当然である。

受け持った授業は、コンピュータシステム、プログラミング、オブジェクト指向、コミュニケーション技法、情報化と法整備。この中でもコンピュータシステムとプログラミングに関しては主担当として学年の授業ノートを作ることになった。俺の作った授業ノートを他の先生に渡して授業を進めてもらう。

この時のプログラミングの授業は当然 Java を使っていた。 Java を用いて国家試験を受験すること、そして卒業制作として何らかの動くアプリケーションを作らせる必要があった。 Java のカリキュラムを組み立てる上で、大きく三つのパートに分けた。

一つ目はアルゴリズムとデータ構造。これらは別にJavaでなくとも、他言語でも必要な概念である。 C 言語だろうが COBOL だろうが VB だろうが必要である。

二つ目がオブジェクト指向。これは当時は Java 特有の概念であり、初学者にとってはかなりの大きな壁である。そしてこのオブジェクト指向に関しては、当時はかなり概念の解釈に幅があった。読む書籍、語る人によって微妙にその解釈が違う時代であった。

三つ目がチーム開発。もうこの辺になってくると、学生間でも大きな開きが出てくる。 もしかすると「こんなことは習っていない」と記憶すらしていない学生もいるかもしれない。卒業制作という課題に向けて、チームを組ませて開発をしていくのである。 

この3段階でカリキュラムを考えたが、一つ目のアルゴリズムとデータ構造の部分で、もうすでにつまずいてしまう学生が出てくる。夏休み前までに脱落者が出てくるのである。

そもそもこの専門学校では入学試験がない。なので入学希望者は全員が入学することができる。学力に関する水準の下限がないのだ。高校で習ってきてるはずの数学すらも知らないという学生も多かった。こんなこと言っちゃあれだが、俺も高校では習っていない。どうしたっかって?本を買って独学をした。学校の授業で先生から教わったわけではない。なぜそんなことになったのかと言うと、国家試験である第一種を受験するために、英語と数学の授業中を使って、勝手に国家試験の受験勉強をしていた。中間テストと期末テストの後にそれぞれの先生に謝った。なので基本的に俺自身の知識は本を読んで独学をしたということになる。なので誰かに何かを教わったという経験が当時はなかった。そんな俺が 学生に何かを教えるというのは、なんだか変な気分だった。だからこそなおさら苦労をした。

逆に言うと教育に関する先入観がなかったため、「教えるとは一体何なのか」ということを根本から問い直す機会が他の先生達よりもあったのかもしれない。

 Java の本は本当にたくさん読んだ。学術的な本、イラストがいっぱい入った実用的な本、ソースコードのサンプルがたくさんある本など、 「誰でも書ける Java」 などと銘打った本が書店にはたくさんあった。しかしどれもオブジェクト指向という箇所に入ってくると急に説明が雑になる。オブジェクト指向に関するキーワードがガンガン出てきて、一気に煙に巻かれるのである。

しかしそんな中、私が気に入った本が「Javaの謎」という本である。これは本当に何度も何度も読んだ。この本はとても面白い本で、 Java をかなり皮肉っている。

「純粋オブジェクト指向型言語と言うわりには全然純粋じゃない。こんなもの C でも構造体を使えば書けるじゃないか。それにほらこれは何だ一体、内部仕様も統一されていないし、ライブラリのクラス名にスペルミスもある」とかそんな感じである。

どの本も 「Java は素晴らしい」と書いてあるのに対して、この 『Java の謎』という本は、「おいおいもっとみんな冷静になれよ、そんなにもてはやしているほど素晴らしい言語でもないぞ」と警鐘を鳴らしている本でもある。 おかげでかなり自分の中でも Javaで出てくるオブジェクト指向に関するキーワードについて、 かなり具体的にイメージができた。そして言語の内部仕様も理解できた。

そして私が教育について一番大きな考えるきっかけを得ることになった期間がある。それは国家試験を受けさせるための受験準備期間である。試験対策期間とも言える。 1年生の時に「基本情報処理技術者試験」を全員に受けさせていたので、その半年後に今度は、成績によって三段階に分けて、最上位の「ソフトウェア開発技術者試験を受験するクラス」、標準の「基本情報処理技術者試験を再度受けるクラス」、最下層の「初級シスアドを受けるクラス」、と分け、俺はその最下層の「初級シスアドを受けるクラス」を受け持つ事になった。

今だから言うが、このクラスというのははっきり言って国家試験を受けるレベルにない学生たちもたくさんいる。このクラス分けというのは、最上位と標準のクラスの邪魔にならないように、勉強ができない学生達を集めたというものである。表向きは学生のレベルに合ったものと称していたが、実態はこの最下層のクラスの学生はほとんどが国家試験などとっくに諦めている学生たちなのである。

そもそも授業中は寝ていて、講義を聞かない、宿題はまずやってこない、ノートはおろか教科書すら持ってこない、という学生達ばかりだった。

なので逆に私は「彼らが他のクラスの邪魔をしないのであれば、基本的に何をやってもいい」という開き直りとも言える許可を得ていたようなものだった。

私は内心「彼らに国家試験を受験させること自体難しいかもしれない。試験会場にすら行かないかもしれない」などと危惧していた。

「何かわからないとこはありませんか?」

「何がわからないかが分かりません」

「具体的にどこか分かりませんか?」

「全てが分かりません」

こんな感じである。

だから私は決意した。これは壮大なる実験になるかもしれないが、モチベーションを高めることで、「とりあえず試験会場までは行かせよう。答案用紙に全問記入はさせよう」 と。

そしてそのためにカリキュラムを組んだ。今だから明かすトリック。そのトリックはこうだ。

国家試験は午前と午後に分かれている。試験対策を午前問題の50問に絞った。午前はマークシートの選択式なので4択だ。運が良ければ午前は取れるかもしれない。午後問題の点数まで取ろうとするのは試験対策期間的にたぶん間に合わない。だから午前問題だけに集中しよう。午前と午後は多少リンクしているので、午前の勉強している中で、できるやつだけ午後の問題も教えていこう、と考えた。

そしてまず授業中を起きて過ごさせなければいけない。寝させてはいけない。そのためにどうすればいいか考えた。

毎日一日の最後に小テストを行うことにした。そしてそのテスト結果を後ろに貼り出すことにした。毎日前日の小テストの点数が貼り出される。そしてその小テストの問題であるが、実は授業中に答えが出る。全く同じ問題文で答えも先生が教える。実はその問題は途中で行う過去問題を用いた模擬試験の問題文そのままである。いわば事前カンニングである。

するとどうなるか。授業中起きてノートさえとっていれば、1日の最後の小テストは満点が取れる。そして後ろに張り出される小テストの点数は満点として掲示される。皆が満点をとっているのに、自分だけで満点を取っていなければ目立つ。あいつのこと馬鹿だと思ってたのに、そんなあいつでも満点を取っている。これはまずい、起きてさえいればいいんだ。 という心理を作り出したのである。今までテストで満点など取って来なかった彼らが毎日満点を取る。 徐々に「もしかしていけるかも」という気持ちになっていく。すると「試験を受けてみたい」という思いが芽生える。そしてこれぐらいのタイミングで模擬試験が行われる。模擬試験の問題は小テストの問題そのままである。彼らがその問題を見るのは3回目なのである。当然だが模擬試験の結果は非常に高い成績となる。

「このまま勉強を続ければ国家試験が取れるかもしれない」

そんな思いが彼らの中で芽生えてくる。

これが当初の目論見であった。 モチベーションを高くすることによって勉強意欲を掻き立て、寝てばかりだった授業を前向きに取り組ませるように仕向けた。そして彼らの口から、「上位クラスの合格率をしのぎたい。最下層クラスに押し込めた先生達を見返したい」という声も聞こえるようになった。実際に上位クラスの先生に進言した生徒までいた。

「あの先生は、できない僕たちの目線で教えてくれるんです。できる気持ちにさせてくれるんです。他の先生達は、できる学生の目線で教えているんです」

職員室で他のクラスの先生から、俺のクラスの学生からそんな風に言われたと言われたことがある。それで俺はいい気になった。頭に乗った。もしかしたらいけるんじゃないかと。

そして試験当日を迎え、試験を受けてきた彼らは、翌日に自分たちが受けた問題の問題用紙を持ってきて自己採点をした。試験結果に関してはネットで非公式で解答が公開されていたから、それを用いた。

試験を受けた翌日の彼らの表情は暗かった。

「全然わかんなかった」

「問題文が何を書いているかもわからんかった」

「時間いっぱいまで試験会場にいるのが苦痛だった」

といった散々な感想を漏らしていた。いくらモチベーションを高くしても、実際に彼らが解いたのは、現実であり、試験対策期間中の擬似的に作られたカンニング環境ではない。

しかし合格者もいた。しかし彼が私が用意したカリキュラムによって合格したのか、あるいは普通に勉強していても合格したのかは、わからない。しかし彼は私に感謝の言葉を述べた。

「勉強が毎日楽しかったです」

私はこの時、二つの教訓を得た。

一つ目の教訓は「努力はやはり効果が出るのに時間がかかる」ということ。すぐに効果を出そうとするがあまり、本来するべき努力とはかけ離れたことをやってしまうことになる。一見短期間で効果が出るものの方が良さそうに思えてしまい、長期的に効果が出る努力をやめてしまう。継続できないのである。継続する効果を軽視してしまう。

二つ目の教訓は「モチベーションの高い期間は楽しい」ということ。彼らは試験には受からなかったが、勉強する期間は楽しかったと言った。それ以降も継続して勉強しているという学生も出てきた。勉強すること自体が楽しいということに気づいたというのだ。目的が国家試験の合格ではなく、 勉強そのものにあるということである。

私は一つ目の教訓に関しては失敗をしている。短期的な結果に酔いしれて、間違った努力をさせてしまっていた。正しい努力をしなければ結果は出ない。本当の意味で彼らに理解をさせる必要があった。答えを与えるのではない。答えの解き方を与えるのである。ここに関して私は失敗をした。 

しかし二つ目の教訓に関しては成功した。彼らの学習意欲を高めることに成功したのである。しかしこの高まった学習意欲も、国家試験受験と言う現実の壁に打ち砕かれた学生もいた。「やっぱり現実は甘くねえな」と諦める学生もいた。しかしもしこの期間がなければ、スタート時点から諦めていた可能性もあり、一度でも夢を見たという意味では効果はあったのかもしれない。

モチベーションをとるか、成果を取るか。

モチベーションは即時的であり、気持ちがいい。誰もが欲する麻薬のようなものである。

しかし成果を出すには正しい努力を継続して行わなければならない。壁に当たってモチベーションが下がることもあるだろう。すぐに結果が出ないことにイライラすることもあるだろう。成果は遅れてやってくる。大きな成果があればなおさら遅れを伴う。

モチベーションを優先すると学生の満足度は上がる。その間は『良い先生』と評価される。みんなに慕われる。その反面、成果を優先するとは必ずしもその期間はいい先生と評価されないかもしれない。しかし成果が遅れてやってきた時に、うまく振り返ることができれば、その時にやっと『良い先生』と評価されるかもしれない。実際には成果が出る遅れが大きいと、それを当初教えてくれていた先生のことを思い出さない場合もある。成果を出す先生は評価されず報われない可能性がある。だからついついモチベーションを優先したカリキュラムを組みがちなのであり、いい先生と評価されたとしても、それが真に成果を出す先生とは限らない。

これが私が教師時代に学んだ教訓であり、モチベーションと成果はトレードオフ関係にあり、だからこそこの二つをタイミングよく切り替えながらバランスをとっていく必要がある。しかし忘れてはいけないのは、学ぶ側がモチベーションを欲しているからと言って、成果を全くないがしろにしていいわけじゃない、ということである。学ぶ側に迎合してしまっている教師は、果たして教師と言えるだろうか。

教師とは、学ぶ側が想像できない未来を想像し、その未来を作り出すために逆算して彼らに何を今教えるべきか、を判断できる能力が必要である。学ぶ側に未来を想像させるのもいいだろう。常に未来を見据える必要がある。学ぶ側よりも高い視座に立つ必要がある。

当時の俺はそれができなかった。

今の俺がそれができているかと問われると、イエスと答えられる自信はないが、この失敗から学んだことが、その後の後輩への教育や新入社員研修、あるいはチームへのコーチングなどに対する基本的なスタンスの礎になってることは間違いない。

答えを与えるのではない。気づきを与えるのだ。

教えるのではない。視点を変えさせるのだ。

「分かった」という感覚に酔いしれることを目的にしてはいけない。

本当に知識が身に付いて理解している時は、理解してるという感覚すらも消えてなくなる。

もがいて苦しんでイライラしてそれでも続けた先に、理解していることすら消えた感覚に気がついた時に、真の成長があるだろう。 

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