誰しもに訪れる『終焉』
私は寝る前と朝起きた際に、自分の『人生の残り時間』を確認する習慣がある。
表計算ソフトにて自動計算されるようにしてあるので、ファイルを開いてただ確認するだけなのであるが、それらの情報を毎朝ノートに書き写す。時間にしてほんのわずかではあるが、『人生には限りがある』という、当たり前のこと(ではあるがつい忘れがちなそしてとても重要な事実)を、思い出せるような仕組みを習慣として組み入れている。
1日に『自分にとって重要なことを手がけることに使える時間』が12時間の場合、8時間の場合、6時間の場合、として、そしてその重要なことを手がけることができる年齢*1)を縦に並べて、衰えずに健康であり続けることも意識する。
表計算ソフト上には具体的な数字が出てくるが、それらの数字そのものが重要なのではなく、「人生は実際には限りあるものだ」と意識し、「時間を大切に使う意識を持ち続けること」が重要である。なので、これらの数字すべてを細かく覚えたりはしない。
常に死と共にある
『常に死と共にある』という考え方、メメント・モリ memento mori という生き方を体現できるようにしている。メメント・モリとはラテン語で『死を記憶せよ』。「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句である。
これは野球選手時代からずっと心がけてきた。選手時代は『現役を辞めなくてはならない日』を基準とし、「いつこの機会がなくなってしまうか」を意識しながら日々研鑽してきた。1試合1試合が真剣だったのは、いつチームから不要と言われるかわからない過酷なサバイバルレースな状況だったというのもあったが、トレーニングの日であっても休息の日であっても、二度と同じ時間は来ない、繰り返されるものは何もない、と24時間ずっと胸に居座る不安に押し潰されないように気を紛らわせるためでもあった。
今ではもう思い出したくもないほどの過酷だった日々もある。それでもなんとか正気を保てたのは、「いづれ皆いつかは死ぬ」という開き直りと「もしやそれが明日かもしれない」という最上級の脅しが、覆い被さってこようとする狂気を中和してくれていたからである。
「怖いものなど何もない」と思い込もうとするのではなく、「怖いものを怖いと思っていられるのはまだ生きているからだ」と考えて、恐怖を中和するのである。
何に専念すべきか、をはっきりさせるのである。
メメント・モリ自動計算ファイル
このメメント・モリという私の毎日の習慣ですが、私が用いている自動計算されるファイルをGoogleスプレッドシートとして公開していますので、ご興味ある人はコピーして使ってみてください。皆さんが簡単にカスタマイズできるように、難しい処理は施していませんので、気軽に実践して試してみてください。
[ファイル]→[コピーを作成]か、[ファイル]→[形式を指定してダウンロード]かで、みなさん各自で複製したものをお使いください▼
https://docs.google.com/spreadsheets/d/11l8jFFTGmoBEq1ZIGnrKWsQSr7idQ1u48_nQL-tdC8Y/edit?usp=sharing
注釈
↑1 | ”没”と表記しているが、この年齢までその重要なことを手がられなくなるほどには衰えずにあればという意味 |