「成長志向」があなたに成功をもたらす:成功に影響する世界の捉え方

今回は成長主義と才能主義について解説をしたいと思います

今日はですね「成長主義」と「才能主義」

これの違いとその取り扱い

そしてどのようなことに気をつければいいかなどなど

いろいろお話をしてみたいと思います

まずあの言葉の定義ですけれども

成長主義というのは成長していくことを第一に考え 現時点が良くても悪くても

それを後々いろんな努力や環境の変化に応じて

自分自身の能力や考え方できることできないことを変化していく

と考えるのが成長主義ですね

成長という言葉を使っているのは

ほとんどの場合はやはり望ましい方に変化したいと思いますので

そういう意味で望ましい方というのが成長と位置づけた場合に

変化の先に成長があり

そして自分の望む自己像を手に入れる、成功するということですね

なので成功のために必要なのは成長であって

成長によって成功をもたらすことができると考えるスタンス、それを成長主義と定義しています

一方の才能主義というのはもう人は生まれつき才能で決まっていて

才能の差で成功するか

その先の未来も概ね決まってしまうといったような決定論のような

もう全ては決まっているんだと考える考え方ですね

なので成功した人を見たときに

はあの人は環境が良かったんだとか才能があったんだとか

そのように才能を手に入れるための様々なものが

もうすでに与えられていて

それらによって成功を手にしたんだと考えるのが才能主義ですね

これ2つの考え方は必ず片方の方に偏っているというよりは

幾分か多くの人は

それがミックスされた状態でどれぐらいの物事を捉えたときに

どちらにどれぐらい偏っているか

といった程度問題であったりもします

実際に才能があることによって手にした成果

これは実際には遺伝子を含め否定できないところがたくさんあり

最近はゲノムの解析とかが活発になっていることもありまして

どのぐらい遺伝子によってそういった成功

そういった将来というのが影響を受けるのかというのがかなり分かってくるようになりました

もともと持って生まれた遺伝子や遺伝によって

多くのことが決まっている

多くのことがそれによって差がついているというのは

かなり有力な説だとしますので

遺伝や持って生まれた才能というのは全くゼロではないと思います

とはいえ環境だとかあとはその成長に向けてそれぞれの意思ですね

どれぐらい成長をしたいのか成功を手に入れたいのか

それに対しての行動や反省やその成長に対して

アプローチをかけていく

そういった変化を求めていく変化をしていく

ということを前提に

様々な行動を組み立てて実際に行動していくという成長主義

この2つそれぞれがどの程度それは個々人の捉え方ですけれども

どの程度そうであるのかというのを信じている

その度合いが人によって多少違ったりはするかなと

思いますが実際には

現実的には両方の面が作用していると考えられます

その遺伝の方で決まってしまうということに関して

紛れもない事実の部分もあるかと思うんですが

例えば身長は遺伝で80%決まってしまう

といったような研究結果もありますのでなので

背を伸ばしたい背を高くしたい場合に背が高くない遺伝子を持っていた場合はその可能性は低いわけですが

とはいっても全く手を打たない手を打てないというわけでもなく

あと背が高い遺伝子を持っていたからといって

その背を高くするために必要な栄養素や環境が十分でなければ

本当はもっと背が伸びたかもしれない

ところがそこまで十分に伸ばせなかった

といったことも起こりますので

全く遺伝的要素のみで結果が出るわけではない

ということは十分考えておく必要はあるかなとは思いますが

それでも遺伝子の影響が大きく遺伝的な要素で

決まってしまう領域というのはありますので

その部分に関しては

もともと持って生まれた神から与えられた

親から与えられたといった方が正しいかもしれませんが

部分で決まってしまう結果は

決まってしまうとは言えるとは思います

こういった事実を踏まえた上でなんですけれども

とは言ってもその遺伝子で決まるからといってじゃあ

もう遺伝子で決まるからそれから先ですね

何もしないのか何も手を打たないのか

それを受け入れたとしていわば諦めてしまって

もう遺伝がダメだから、あるいは自分は遺伝的に優れているから

もうこれから先の未来というのは

もうある程度決まっているんだというふうに生きるのかの

この考え方捉え方の違いが成長主義と才能主義の違いとなりますが

どちらの方がより成功を収めるのかという研究に関しては

その成長主義の方が

結果的には大きな成功を収める可能性が高い

という研究結果があります

成長主義の人というのは

現在がもし自分が望んでいるような状態になっていない

成果が出ていないとしても自らの行動や環境によって

自分は変化するんだと信じている場合であれば

その分行動量が増えますよね

成功に対してのアプローチをより多く取ろうとします

なのでそれだけの手数が多ければ当たりを引く確率も上がりますし

あと本当に実際に成長していったりしますので成長するチャンスも増えますので

そういう意味では成功に近づく可能性が高いと言えます

逆に才能主義の場合も

自分たちのこの能力というのは

もう生まれた瞬間に概ね決まっていて

それはもう変更できない変更できたとしてもわずかで

そして自分たちはある程度才能がある人たちとそうでない人たちで

もう結果が大体変わってるんだと

だから今の自分は劣ってる箇所に関しては

どれだけ努力をしようが優れてる人には勝てないと

逆に自分がもし優れてる

という面の遺伝子の部分があれば

そこはほっといても劣ってる人には勝てるのでなので

このままいっといてもこの優れてる部分に関しては大丈夫だと

挑戦をする領域に関しての行動量というのは減りますよね

となると結果的に成長しないわけです

そして成功を手にする確率も下がるわけですね

行動量が減りますので手数が減りますのでなので

そうなると結果的には成功をしにくいとしづらい状況になる

というのが手数の面で打率の面で考えてもそうなる

かなと思います

この場合その両者が

なぜそのような物の見方になってしまっているのか

そしてその物の見方をどうすれば変えられるのか

このあたりが実は重要なところで結論を言いますと

成長志向になった方がいいわけですね

成功を手に入れるのであれば成長志向、成長主義になった方が

今が悪くても努力で何とかなる環境を変えれば

何とかなると思って生きた方がその分行動量が増えるので

いいですよね

これは決してもしうまくいかなくても

「あなたの努力が足りないんですよ」ということを言いたいわけではなく、そしてそのように考える必要もありません

あくまでもこの世界を捉えるときに

才能でうまくいっている人というふうに考えて

物事を見てしまうとうまくいっている人たちに対して

自分たちは無力だと感じるようになりますよねこの世界に

いる自分たちは何もできることがないんだと思って

冷めた目でこの世界を見るのか

自分たちにもまだまだやれることがあるはずだ

という希望を持って取り組むのか

この世界の見方として

どちらの方が幸せなのかというのがまずあり得ると

まずその視点の違いによる作用というのがあると思います

なので成長をするために今不遇であっても今弱点だ

弱みだと思っているところがあったとしても

自分は変わるんだと変化があるんだ変更ができるんだ

ということで行動していく

それによって何らかの変化が現れると思いますので

ただその結果成功するかどうかはまた別なので

必ずその変化が起これば成功するわけではないのでなので

成長志向・成長主義の場合は成長したから成功するではない

そこはちょっと注意が必要ですね

これを成長したら成功するんだ

というふうにそこのつながりをイコールだ

と思ってしまうと、さっきも言いましたけれども

成功してない人は努力してない人なんだとなってしまいますよね

なのでうまくいかなかったら

それはあなたの努力が足りないんですよ

というふうに

押し付けるような考え方になってしま

いますのでそこは注意が必要です

成功というのは外的要因だとかその状態

環境によって変わってきてしまいますので

あくまでも自分が変化できるかどうか成長できるかどうか

ここにフォーカスをするという考え方でいいと思いますなので

昨日の自分あるいは去年の自分5年前の自分時間軸を長くとって

過去と比較して過去よりもより良くなっている

そしてこれから先の未来

1年後5年後10年後はもっと良くなっているという

その変化の方に対して意識を向けていく

というのが成長主義の本当のうまい使い方ですね

自分が成功したのか

例えば年収が上がったのかとか

会社での営業成績が上がったのかとか

そういった外的なパラメーターで外的なその結果・成果で測定可能なもので自分を測るみたいなことに

あまりにもこだわりすぎるとそこに到達しなかった場合に「努力が足りなかったからなんだ」と思いがちですよね

それはある意味で努力を強制しているという意味においては

あまり有効な使い道ではないですね

なので成長主義に関しては結果的に得られる

成果や成功というのは変化の中変化の後で

かつ外的な要因との組み合わせやそことのうまい

ミックスによって成果として得られるものですので

自分でコントロールできないところも多く出てきます

なのでいくら努力をしても成果が出ません

ただ成長はしたんだろうか

過去の自分よりも今の自分は変化したんだろうか

そこにフォーカスをしていけばいいという

そういう使い方ができればいいんじゃないかなと思います

逆に才能主義・才能志向に関しましては

もう固定化されているものと

これ以上何か頑張ったとしても大して成果には影響はないし

自分の成長もあまり関係ないと

ここ実は固定された考え方、才能主義の人というのは

そのプロセスで自分が変化するということ

変化ができるんだということに対しての成功体験とか

そこの経験というのが浅かったりする場合が多いです

かつて自分が劣っていたところを

これを努力や行動によって少しずつ変化

させることによって自分がある程度成長してきたといったプロセス

これを体験として実体験としてあるのかどうか

そこでその考え方その価値観というのが影響を受けますので

あまりそういった経験をしてこなかった場合

あるいはそういった努力を求められること自体が

何か価値観としてぶつかってしまう場合ですね

例えばこれは見た目がすごく優れているといいますかいい見た目

美人・イケメン

そういった見た目が優れている人というのは何かこう

もっと綺麗になろうとかもっとかっこよくなろうという努力をすることをためらったりします

この努力をすること自体が自分に対するそういった見た目の良さの否定につながると感じてしまうんですね

化粧をするのは「美人じゃないから」なんだ

何か自分磨きをするのは「自分が劣っているから」なんだ

ということを認めてしまうことになるわけですね

なので「自分が美人である」「美人は化粧しなくてもいい」

「美人は美人であろうとする努力をする必要がない」と

というふうな結びつきになってしまいますと

自分の持っている才能自分が優れていると思っている領域に関しては

下手に努力をすることが自分の今

持っている才能の否定になってしまうので

ただそれは本当は一時的な否定でしかないんですけれども

それが受け入れられずなのでそこに対して成長していく変化していくという

そのプロセスそのものを否定してしまうことになるんですね

これは自分の優れているところ

その自分の劣っているところも含めてなんですけれども

そこに対して努力をしようと考えたときに

そもそも自分は劣っているんだということを認めることと

セットになってしまうというところが心理的な一つの障害になってしまうわけですね

なので「努力をするのは劣っている人なんだ」と

努力をしないといけないというふうに努力というものが

脅迫とセットになっているわけですね

「努力をしなさい」「努力はするべきだ」という

そういった意見に対して

それは暗に「あなたは劣ってますよ」という風に言われているような気がする

自分自身も努力をしなきゃと考えると

「私は劣っているんだ」「僕は劣っているんだ」

という風に自分を少し卑下してしまうわけですね

それは心理的につらいですから

その努力をして変化をしなければいけないという努力や変化

そのものが現在の否定でかつしなければならない

という強制をされているようなことに感じてしまい

その努力を求められる状態が苦痛なわけですね

周りの人たちがどんどんと努力をして

何か結果を出しているといったような姿を眺めながら

自分はそれを積極的にできないわけですので

周りと違って自分は変化しないわけですね

変化できないわけですね

するとどういう考え方をするようになってしまうかと言いますと

周りの努力をしている人たちは

「努力をしないとうまくいかない、劣っている人たちなんだから、

まあ彼らが頑張っているとはいえそれはまあ頑張っているなりに劣っているんだから、

まあ頑張らないとダメなんだよね」っていうふうに

そういうふうにして

こうちょっとこう、穿った見方をするようになるわけですね

とは言っても自分も努力をしなかった場合

自分自身が努力をしなかった場合に

周囲の人とどんどん成果に差は出ていくはずですよねなんですけど

自分が、努力をしていない自分が

そういった変化成長を望んでいないといったような状態に対しては自分自身の視点というのはそこに向かないわけですね

これは一つ前ですかね

自己欺瞞についてお話をしたときそうなんですけれども

才能主義の人というのは自己欺瞞に陥りがちです

自分が努力をせず

その結果成果が出ていないことに関しても先ほど言いました通り

あの人たちは努力をしないと勝てないぐらい劣ってるんだと

というふうに言い換えることによって

自分が努力をしていないことを正当化するわけですね

私は優れていると私は努力なんてする必要がないと

そういうふうにして自分の中で欺瞞が発生するわけですね

そうなると周りの人たちの努力についても妬ましく思うようになり

かつその努力で得た成果に関しても才能主義ですから

成長主義とは違って本人が努力をして本人が成長して良くなったから成果を得たとは思わないわけですね

やっぱりあの人はなんだかんだどっかで才能があったんだろうとか

誰かに助けてもらったんだろうとか運が良かったんだろうとか

そういうふうにしてその成功がその人の努力や変化、成長によって得たものだというふうには考えないわけですね

すると両方の面から成功から遠ざかってしまいます

一つはそういった成長するために取るアプローチ・行動、これの否定ですから行動量が減ります

そしてもう一つは

そうした周りの努力をしている人

変化をしようとしている人のその変化や成功に向けてのアクションというのをそのままそっくり

自分に真似ようという風に

そこから学ぼうという姿勢がなくなります

自分が才能主義であるがゆえに

他者のその行動に関しても才能の面や環境が良かったんだろう

というふうに捉えがちですので

その人たちのロードマップ

その人たちが歩いてきた道のりというところから学ぶのではなくて

あんな才能があったんだとか

あるいはあら探しをして

「とはいっても、あの人ここはダメじゃん」とか「こういうところ劣ってるよね」

というふうに見てしまうとなので

その人たちが成功に向けてどういうふうに進んでいって

何を手にしたのかというその成功につながるちゃんとした本質的な道筋を見ずに

その周辺であるどうでもいいような情報とか

あとはその結果に対しての直視ができないことによって

違ったストーリーで捉えようとするといったことが起こります

その心理状況だとうまくいっている人から

うまくいっている方法を学んだりそれを自分で真似たりということが起こらないんですよね

そうなるとますます成功から遠ざかってしまう

ということが起こるわけです

なので成長主義・成長志向の人というのは

周りの人たちの努力の仕方とか

その努力をする時の心構えであったり

どういう場所でその努力を発揮しようと

それを思考のプロセスですね

も、どのようにしたのかというものに関しても興味を持ちそして

本質的なその成功に向けての道筋アプローチというものも

どんどん貪欲に取り込んで

成長していこうと思うようになりますので

そうなると得てくる情報に関してもより本質的な情報を積極的に取ることになり

行動量も増えそして成功に近づく、成長する

その度合いも大きいというようなことが起こるということですね

これは心理的実験においてもそのような結果になるということはいくつかの研究で実証されてますし

哲学的な考え方哲学的な面から考えたとしてもその心理的な状態でどれぐらい

行動量が変わるかという心の持ち方としてどちらの方が

幸せなのかより健全なのかという考え方から言っても

その成長主義と才能主義に関しては大きな差があると思います

私たちは誰しも努力をして

自分を変更する変化をするということの体験経験も

なんとなくわかっていると思いますし

そしてそれぞれにはそれぞれの才能があって

親から譲り受けた遺伝子で

自分たちのある程度の才能や能力というものは決まってしまっているということも認めざるを得ないですが

ただどちらの方を重点しておくのか

どちらの方により多くの自分の意識や注意というのを向けるか

そちらの向ける方向先によって幸せであるかどうか

成功を手にするかどうかというのが変わりますので

できれば他者の才能や自分の才能に対してあまりこだわりすぎずに

自分たちは変わるんだと変われるんだとという形で

チャレンジ・挑戦、行動を増やす

というふうにアプローチしてもらえればと思います

これは単にいっぱい努力しましょうね

というなんかその根性論にも聞こえるかもしてませんが

常に自分自身は変わる可能性がある変われると

逆に言うとアクションをしなければ退化していくわけですね

うまくできなくなってくると

逆にうまくやり続ければ

自分も変化してきてできなかったことができるようになると

そのできるようになる度合いは人によって違いますし

そのやり方によって違いますけれども

全くゼロということにはならないと思います

なので何か反復して習慣化してできる

ようにしていくという

プロセスそのものがもたらす効果は必ずゼロではなく

何らかの効果はありますので

そういう意味で私たちは本当は常に変化し

そして成長していくものだというところ

これを常に意識して取り組んでもらえればいいんじゃないかな

と思います

才能主義は本人は才能主義であることに気づかないというのも一つの問題でもありますので

才能主義に陥らないためにも

私たちは親からもらった遺伝子が

ある程度決めている領域があるからといって

それをそのまま何もしなければそれを

生かすこともできなければ

それをうまく発現させることもできないわけですね

そういう意味では、親から譲り受けた才能や能力、これ自体が

皆さんの人生をそのまま

ダイレクトに影響を与えるわけではなく、それはあくまでも

スタートラインが少し

違うというレベルのものであって、そこから

どう進むか、どの分野で

どんなふうに

自分を変更していくのか、成長させていくのかによって、その先に

どこまでたどり着けるかというのは変わりますので、

今回は、成長志向と才能志向、

成長主義、才能主義、この2つの考え方

固定的な成果に対しては自分自身は固定的であると考える才能主義と

自分たちはどんどん変更して成長していくという柔軟な存在なんだと思うのが成長主義・成長志向ですので

できれば成長主義でありたいなと思います

そして皆さんも成長主義で

この世界を乗り越えていってもらえればいいんじゃないかなと思います

そして皆さんが成功するかどうか

これはその成功の定義そのものをうまく

自分たちの中で消化してもらえればいいんじゃないかなと思いますが

自分自身の成長やその成長の中で得られた体験

これらが自分たちがもともと想定していたよりもより多くの体験やより多くの経験を得られたのであれば

それが成功じゃないかなと思います

なので逆に大金持ちになったら成功なのかと言われても

じゃあ宝くじに当たったり

あるいは親の遺産が入ったりしたことによって

一時的な資産やお金というのが増えますが

それは決して私は成功だとは思わないですね

なのでそういう意味で成功という言葉の定義というのを

皆さんなりに持っておくと

いいんじゃないかなと思います

成功とは自分がもともと得られるであろうと予測していた

経験や体験これを上回る体験や経験を得られたのであれば、それは成功かなと

自分自身がどんどん成長して変更されて、そして

今までできなかったことができるようになり、分からなかったことが分かるようになり、

そして見えなかったものが見えるようになり、

聞こえなかったものが聞こえるようになり、

感じ取れなかったものが感じ取れるようになっていくと

それが成長であり、人生にとっての成功なんじゃないかな

というふうに考えます

ということで今日は成長主義と才能主義についてお話ししました

このあたり私が書いた本ですね

超える技術の中の仕事術のあたりでも少し触れてはいますけれども

仕事術は私が仕事でどんなことを経験したのかとか

若い人に相談を受けた際に

仕事についてこういう考え方でいった方がいいよ

といったようなアドバイスをするために書いた章でもあるので

今の話の成長主義なのか才能主義なのか

みたいな話はそこではちょっとダイレクトにはしてませんが

何かヒントや何か参考になるんじゃないかなと思います

ということで「超える技術」まだ買ってない人はAmazonでポチって買っていただければと思います

本日も最後は本の宣伝をして締めくくりたいと思います

「成長主義」と「才能主義」

Presented by 大垣伸悟

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