まとまらない自分のルーツをまとめてみようかとか考えてみたり

考え方や行動基準のルーツ

最近では初めて会った方々に私自身の考え方や行動基準を話す機会が多い。なので自分の中では、どのエピソードで驚かれて、そしてどのあたりで興味を得られるのかが予測できてきた気がして(だいたい錯覚だったりもするんだけれども)、概ね定型文化してしまっている今の状態のもどうだかなと思うようになってきた。

良くないな、と思う反面、何度も話していく中でうまく要約して話せるようになってくるもので、それはそれで効率的で良いかもしれないとか思う時もあるのだが、しかしふと新しい気付きがあったりして、話す方向感が揺らいだりもする。話しているうちに「そういえばこんなことも考えてたな」とか思い出してしまったりするのである。

なので一度ここら辺で整理しておいた方が良いかもしれない、と思って振りかえってみる。

考え方や行動基準のルーツは祖父。今思っても改めてやはり凄かったんだなと思う。

焼け野原から裸一貫

戦争を経験しているだけでも凄いと思うけれど、焼け野原の何もなかったところから裸一貫で築き上げたその姿勢と行動は凄かったんだろうなと。

当時の日本にはそういった人が他にもいて、高度経済成長に支えられたと表現されてすまされることが多いような気がするけれど、それらはこういった人たちが作り上げてきたわけであって、焼け野原の敗戦後の状況は今の自分達の置かれている環境と比較にならないわけで、もはや想像を絶する世界。なので子供ながらに祖父の言葉は重かった。優しかったけれども、その強さは怖かった。もっと多くの色んなことを話ししておけばよかったと思い悔やむ。

第二次大戦中、16歳で満州開拓民として海を渡り、終戦でロシアの捕虜となり強制労働をさせられたが、隙を見て逃げ出し、そのまま中国各地を渡り、なんとか日本に帰ってきた。そのときに各地の中国の人たちに良くしてもらった恩を最後まで大事にしていた。事業を興して余裕ができた後に、恩返しとして中国の学校に行って設備を寄付をしたということを聞いたことがある。

欲しいものは待っていても手に入らない

今も当時も聞かれることが多いのは「なぜ起業したんですか?」という質問だが、これには『起業は当たり前ではない』という考えの前提があるからだ。

しかし私が会社を辞めて自分で会社を興したときに、祖母から「自分で商売するんか、そうか頑張りなよ」と言われ、当時の人なら事業を興すのは当たり前の感覚だったんだな、と思い知った。自分で仕事を作るのは当たり前、そう、何もかもを奪われて、欲しいものは待っていても手に入らない時代の人たちの感覚は、今の時代を生きる我々に最も必要な感覚かもしれない。

「アメリカで野球がしたい」

高校2年生の夏、「野球をするためにアメリカに行く」と言った時も、家族は誰も反対をしなかった。むしろ祖父からは「そうか、行ってこい。気をつけろよ」と嬉しそうだった。祖父は「島国で小さくなるよりも大陸を見て大きくなってこい」と、喜んでいたらしい。でも父親には相当心配も迷惑もかけた。当時はインターネットも携帯電話も普及してない時代。後で知ったが、いろいろ不測の事態に備えて奔走してくれていた。

高校2年生夏に初めてアメリカに行って、その後帰ってきても野球部内では浮いた存在になってしまった。チームメイトとは馴染めなくなってしまった。プロを目指す自分自身と、高校野球で野球を終えると決めている部員たちとの、意識の違いがあった。いや、たぶんそれはこちらが勝手にそう思って見下していただけかもしれない。

野球部の父母会でチームメイトの親から「アメリカに行くなんてお金があっていいわね」と言われた時に、「おたくの息子は金があっても単身アメリカに野球しに行きたいと言うんか?」と言い返す親父を見て、すげえと思ったことを覚えている。

今思うと親父の助けなしにここまで来れなかったなと思う(いや今もだけど)。

同和教育の実践者

そんな親父だが、実は高校の教師であり(風貌からはそんな風には見えないのだが)、同和教育を実践し続け、全国人権・同和教育研究大会の司会を何年も務めた。

しかしそんな親父から勉強を教わったことはない。勉強をしろ、とも言われたことがない。しかしだからといって自分の子供の教育に無関心だったわけではなく「本だけはいくらでも買ってやる。わからないこと、興味があることは本を読んで調べなさい」というのが親父の教育方針だったと今考えば理解できる。だからか小学生の頃から本ばかり読んでいた。小学校の図書室の本は小学4年生までに全部読んでしまった。今も年間に500冊は読む。今では、読まない本をどう決めるかにこだわっている。

その親父が教師になって12年目に書いた本が手元にある。『共に学び・共に生きる(東方出版)』という本で、自身の同和教育の実践エピソードについて書いたものだ。今から30年以上も前なので、今の若者が読めばショックを受けるかもしれないような当時の差別との闘いが克明に書かれている。日本に当時こんな差別があったのか、と疑いたくなるかもしれない。

被差別部落、在日朝鮮人、いじめ問題など、今よりもずっと酷くそして社会もそれを認めていなかった時代に闘った人たちの話が書かれている。手前味噌のように思われるかもしれないが、未だに涙をこらえながら読まなくてはならないほどその内容は重い。

しかしそんな本も一度は世に出たものの、数年前に出版社が倒産してしまい、絶版となってしまった。今その出版社が抱えていた在庫の数冊がここにある。Amazonで確認してみたら中古でとんでもない高値がつけられていた(今はそれすらももうない)。欲しいと言ってくれた知人・友人にお渡ししたが、感想は「ショックでした」というものが多かった。

いつか親父に倣って本を書いてみたいと思う。できれば親父が元気なうちに(今はめちゃくちゃ元気だけれども)読んでもらいたい。

親父がこの本を書いた年齢を、今の自分はついに追い抜いてしまったのか、と思いながら、遠い実家で暮らす祖母が元気かどうか聞く内容で親父にメッセージを送ってみた。即レスだった。さすが親父は昔からITに強い。

結局まとまらない自分のルーツが露呈されただけで、このまま当初の目的が果たせそうにもない。結局うまくまとまらない、という話でまとまりそうだが、それはまとまったことにならない、という話でまとまりそうだが、それは- と無限再帰しそうだ。

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