なぜトレーニングを日課にするのか 〜コントロール感のすヽめ〜

万全のコンディションでなくても戦って結果を出す

「なぜトレーニングを日課にしているのか」という問いに対しては、「満身創痍でも常に闘わなくてはいけないから」と答えるようにしている。が、しかし本当のところは、コントロール感を得るため、なのである。

野球選手時代から腰、膝、肘、肩は常にどこかが痛んでおり、万全のコンディションなどなかった。それでも常にチャンスに備え、準備をし続ける必要があった。今は毎日マウンドに立っているようなものなので、野球のように決まったシーズンオフがない。なので準備/トレーニングは常に日々の計画に入れておかなくてはいけない。

それは知識を詰め込む学習もそうだし、現在すぐに必要でないものも含めた情報を収集しておくこともそうだし、体調を管理することもそう。

今も過去ヘルニアで痛めた腰は長時間のデスクワークでは簡単に悲鳴を上げる。右肘は気温が下がってくると、朝には血行不良で固まってしまい、しばらくは動かすことが出来ない。無理に動かそうとすると腱に激痛が走る。左膝は何かの拍子に痛み出すと正常に歩けないようになってしまう。選手時代はそれは当たり前のようにそれらと付き合ってきたことだが、登板には間隔があるので(往年はほとんどなかったが)、次の登板までにパフォーマンスを上げてくればよかったが、今はそうはいかない。しかも最近では、その回復反応も鈍ってきた。今はサプリメントの摂取量バランスをも厳密にするように心がけている。

視力の低下に伴って、文章の読解スピードも落ちてきた。それを脳機能で補って記憶時間と記憶量は増えているので、理解力は落ちていない。でもいつかは全ての能力が衰えていく日がやってくるんだろうなと分かっているので、その時期が来るのを遅らせたい、という先を見越した恐怖心が、準備/トレーニングに駆り立てる。

恐怖心は薬にもなる

昔お世話になった空手の道場の館長が言っていた言葉。

「気の弱い恐怖心の強い奴ほど、格闘技は強くなる。負けるのが怖いので、練習をしてもしても、安心が出来ない。気の強い奴は、ちょっと練習して試合で勝った負けたを味わったら、そこで辞めてしまう。気の弱い奴ほど、自分自身の恐怖心と常に戦っているから、自覚の有無に程度はあるが、自分に厳しくなっていく。気の弱い奴が猛烈に練習をし、気がつけば頂点に立っていた、ということだ」

恐怖心があること自体は問題ではない。恐怖心があるのに何もしないことが問題なのだ。

恐怖心は有効に使えることもある。恐怖心を必要な時に使えるようにするためにも、感情自体をうまくコントロールすることができると良い。

常に自らを観察し、より多くのコントロール感を得る

私は仕事中、自分のデスクの背後にビデオを設置し、自分自身の作業を全て記録している。

  • どこで集中が切れるか、その予兆となるものは何か
  • 非効率な作業に陥る原因は何か
  • 自覚していない思考・作業のクセはどんなものがあるか
  • 探しものをしたり迷ったりする仕事にはどんな特徴があるか

など、自分の目線よりも後ろ&高い位置から見るようにし、カメラのアングルも一定期間毎に変えて新しい視点から眺められるようにしている。1回での連続録画は4時間までなので、これを1日に2回撮ることになる。休憩も撮る。

人は、主観で「こうしている」と思っていても、実際に客観的にみれば大きく異なっている、ということが多々ある。それくらい直感や感覚と、実際の思考や動きは一致しない。なので一般には問題を正しく認識できておらず、間違った改善方法を用いてしまうようなことが簡単に起こる。自分自身の主観を実際と一致させること、そしてそれを維持することが重要なのである。

簡単なミーティングでも録画する

第3者の視点で自分を知る、というのは意外な効果(それも絶大な効果)をもたらす。特に新人はこれをするだけでも、客観視する能力が身に付き、考え方も寛容になり他者からの意見も柔軟に受け入れられるようになる。自分がその意見にこだわっているのは、その意見の価値が高いからではなく、単に自身の感情によるものである、と気づくようになるからである。

スポーツではフォームをチェックする際によく行うトレーニング法であるが、高いレベルのアスリートほど自分を客観視できる能力が発達しているのはそうしたところが関係しているのかもしれない。

コントロール感こそ幸福感に繋がる

うまくいかないことが続くと、だんだんと気が滅入ってくることは、誰もが経験することだろう。しかし、望む結果を得られなくても、それがある程度想定の中で「うまくコントロールできている」と感じているときは、それほど滅入らない。人生では常に望む結果ばかりが起こるわけではない。望まないことも起こる。重要なのは、望む結果であっても望まない結果であっても、コントロールできていると感じる『コントロール感を手にしているかどうか』である。そしてそのコントロール感が幸福感を支えている。不意に宝くじに当たって大金を手にしても嬉しいだろうが、そのようなあぶく銭による幸福感は陽炎のようにすぐに消えて無くなってしまう。しかししかるべき努力を行ったと思える行動をとった結果によって手にしたお金は、継続的な幸福感をもたらす。そうしたコントロール感を得るために、日々全ての面において準備をしトレーニングしておくのである。

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